今日もあいさつのすぐ後に新しい発見を僕にくれます。
僕は正直、博物館ってそんなに興味が無かったんですが、
今日、横須賀のこんなところに行ってきて、こんなウミウシがいて、好きになって、
こんな質問にたくさん答えて、勉強になったんだ!
と説明をしてくれる子どもたち。
あぁ、やっぱ勉強っていうか、知るってめっちゃ楽しいことだよね。
いつもいつも、毎週毎週、
彼らに思い出に残る体験を提供したい!
何が楽しいかなぁ、記憶に残るかなぁ、
でも自分で見つけた!やったぞ!って体験にせんとなぁ、
といろいろ考えるのですが、偉大な叡智というものはやはりあるもので、
巷にあふれる浅くコンビニエンスな情報や体験でなく、
時を経て厚く深くなっているものを見つけようと。
彼らのことを思うたびに、日々こちらが生かさせてもらうこと。
彼らの目の輝きに触れることで、
こちらの姿勢や日々の生活がフレッシュになるという有り難さ。
僕の大切な座右の銘、
「教えること学ぶことに等し」
とはまさに、このあたりにもあるのだな、と発見をするのでした。
そして、今日は、
資本主義も終末が見えてきた今だからこそ、
子どもからもらう大切なものや、
目に見えない大切なものに気づくために、
そして、これからの時代を強く本質的に生きるために、
僕の大好きで大切な一冊の絵本。
フレデリック〜ちょっとかわったのねずみのはなし〜をみんなで読みました。
「これはねぇ、先生がモデルになっとるんだよ。」
「え、せんせいがネズミになっとるってこと?
ちょっとまってね、せなかからみてみる。
あっ、しっぽがないけど、たしかにそうかも!」
「笑、おっ、にとる?でも、どういうこと?
まぁ、いいか、いいせなかってことだよね笑」
じゃぁ、読もうか!
「フレデリック佐藤先生は〜〜〜」
笑かわいいなぁ
「フレデリック佐藤は〜〜〜」
ハーフみたいになってきたねぇ笑
フレデリックはしじんの話。
表向きは働かないねずみが、最後に他のねずみの心を温める話。
たいせつなものにきづくお話。
これからの時代に絶対に必要になるお話です。
機会があったら、ぜひ読んでみてください。
詩人という生き方がこれからの時代に必要になること。
を僕は強く信じています。
ウィンブルドンのセンターコートに立つテニスプレーヤーを夢見たり、
アーティストになることを使命と感じステージに立ち続けたり、
俳優を目指したり、
恋に破れたり、人を傷つけたり、大怪我をしたり、
いろんなことで転び起き上がってきた道程、
僕は自分の中の詩人を見つけ、詩人であることを悩み喜び、
詩人であろうと生きています。
なぜか?
それは僕の日々の葛藤や感動の中にあり、自分で見つけ、磨くことです。
そして、なぜ?と共に、
俺はこういう生き方を選び、決めて、自信を持って生きとるよ。
というせなかを見せたい。
自分であることを規制され、人に合わせることばかり求められる、
精神衛生上、こんな窮屈な時代だからこそ、
自分の主義主張をもって、自分の人生を生きるんだ。
という勇気を持ってもらいたい。
いや、元々彼らの内側にある、自分の人生を切り拓くための、その勇気に火を灯すような人間として存在したい。
それが、与えることに喜びを感じさせてもらえる僕なりの生き方。
もらうことに慣れすぎた今の新しい命に、
自分の生き方で人を感動させることができること。
そして、それが自分に返ってくる一番大きな感動だということ。
もっと言うと、それが社会貢献の本質であって欲しい、という僕なりの祈り。
それが僕なりの教育という単語の意味。
自分の人生を己が切り拓くという勇気さえあれば、人生はどうにでも良くなる。
今日も彼らのおかげで熱くなってまいりました。
彼らが14歳や17歳になる頃、
フレデリック佐藤は、なにを訴えてくるのかな?
あるいは、フレデリック佐藤に、君たちはなにを与えることができるかな?
君たちとの関係は、コンビニエンスに考えてないよ。
10年後、20年後、胸を張り、時代を作ることを語る君たちの目に、
俺がまだまだ輝いていられますように。
その時だね、真価が問われ、
詩人は時代を良い方向に動かしているか、
時代に呑み込まれてしまっているか。
俺の目は濁らない。
君たちがいる限り。
そして、君たちにもそう言わせてやる。
それが、詩人として生きる理由。
教育を想う詩人の意義。
新しい命よ。
いつも、そこに存在してくれて、
感動することで感動を与えてくれて、本当にありがとう。
佐藤由明