台風、
荒れ狂う風の匂い、
暴れる木々の中で見た景色は、
どこかの脳細胞の好物となり、
特別な記憶として、宿り、いつか、明るく叫ぶ。
この風の中でしか見えない景色を見よう。
心に刻もう。
風の匂いに純粋な子どもたちは、
はしゃいだり、だれたり、少しおびえたり、
感じることを身体で言葉で表現してくれる。
ここは、フレッシュであることを大人が学ぶ時間でもある。
大自然の恩師のふもと、人間はいつも、誰でも先生であり、生徒である。
今日もいつも通り、ハグ&掃除&ご飯をあげる。からはじまる。
そして、今日はナポレオンのお腹の音を聴いた。
みんながぴったりと馬のお腹に耳を押し当てる。
お腹の下をくぐって、逆のお腹の音を聴く子どもたちの姿を見ながら驚く。
馬はおなかいたいたで死んじゃうんだよ。という話。
「疝痛」というものを知り、それを防ぐための手段を知る。
馬の命を助けるための手段を知る子ども。
その痛みを想像し、お腹の音を体験する。
べったりと馬のお腹に自分の顔をうずめる。
こんな子どもたちがどこにいるだろうか?
すごいなぁ。馬も子どももすごいなぁ。
みんなこの情景を見たらいいのになぁ。
雨をよけながら、の振り返りの時間。
馬と共に過ごしたこれまで6回の時を想い巡り、
答えのない問題をなげかける。
○「みんなにとって馬ってなに?」
○「一番印象的だったことは?」
○「これから馬とどうしたい?」
自分一人でじっくり考えな。
ちゃんとしたこと言わんでいいよ。
曖昧でもいい。単語一つでもいい。
自分の言葉で、向き合いな。
最後の質問に対して、女の子の一つの答えが印象的だった。
「大好きになる」
って書いた後、
「になる」
を二本線で消した後がある。
とても感動した。
大好きになろう。という想いを書き記した後、
あ、私、もうすでに、大好きだ。ということを感じた足跡。
人の心の成長とは、こういうことだと思う。
「〜〜でありたい」
「〜〜したい」
という願いや祈りを持ったとき、
その高みに向かう上では、想いや願いが強ければ強いほど、
恐怖や不安や自信の無さが顔を出す。
人の意見や目や、弱さを持った自分までもが顔を出す。
自分を信じられるかどうかの葛藤。
それを繰り返して行く中で、ふとした瞬間が訪れる。
それは、
闇に浮かぶ十五夜の月のような、
台風の中の晴れ間のような、
あっ、と気付いた時には、
自分さえも知らない己の姿を知ることになる。
本物の好きや、時間を忘れてしまう何か、とはその瞬間の中にある。
彼女がそれを見つけ、
そこでジャンプした自分の姿を見つけた足跡に感動した。
こういうことがしていきたい。
それはつまり、
こちら側の持つ祈りが現実として、そこに居座った瞬間でもある。
ありがたい。
こころが温かくなり、
涙になっていく過程が見えるようで嬉しい。
おとうさん、おかあさん、
馬と子どもはすごいですよ。
ここには、そんな瞬間が散りばめられています。
こちらはじっくりと子どもたちを見守り、
こころがジャンプするその瞬間を楽しみながら、我が身を振り返っとります。
ここは、こころの成長の足音が聴こえる場。です。
佐藤由明