生きづらさ、息苦しさ、閉塞感、
今の日本では、そんな言葉をよく聴くようになりました。
なにがそうさせているのか?
見えないものを見る力が弱くなっていると思うのです。
気配や殺気、ざわつき等の生き物としての感じる力。
これは、心の問題が増え、未来の不安や過去の後悔などにとらわれ、今ここを生きることのできない人々への根源的ないのちの叫びだと想うのです。
恐れをしっかりと抱き、
その恐れの味をしっかりと味わった上で、
自分の内側から湧き出る見えないものと向き合う。信じる。
今日は陽の落ちた放牧場で、馬たちと触れました。
雨が上がった放牧場は敏感にならないと足を取られ、滑ります。
暗闇の中に馬のシルエットが浮かんでいます。
僕たち大人にとって、それは身震いするような畏怖を感じます。
子どもたちもそれを感じながら、
しかし、自ら近づき、自ら馬を引き、見えない中で見える「何か」を頼りに共に動きます。
素晴らしい姿です。
分かった気になり、
理解したつもりで動くのではなく、
恐れながらも自分を信じ、分からない何かに向かっていく姿。
たくましいです。
そして、
その「分からない何か」とは、目に見えるものではありません。
生物が成長する時、人がたくましさや勇気を手に入れる時は、
そんな少しの危機感や気をまとった時です。
生きる力の強さ、いのちの力を感じる瞬間は、そんな中にあります。
普段と違う馬との大切な時間が終わったあと、
子どもたちには今日感じた「なんかやばい感じ」を振り返り、浸ってもらいました。
そして、分からないままでいいと言葉にする時間を取りました。
じっと自分の中の恐れや喜び、
じんわりと心に広がる何かと向き合う時、我々は手を出しません。
時間に縛られ終わりたくない。
僕たちがいつも思うことです。
そう思えるのは、子どもたちの姿に、向き合う強さを見るからです。
そこにあるものは、
自分の中にある大切な何かと向き合い、
世界とつながるきっかけを見つけている子どもたちの姿です。
陽が落ちることで、見えるものがある。
闇から光を生み出す姿。
そんなことを今日も私たちが学びました。
本当に心からいい時間です。
終わりたくないなぁ。
佐藤由明