人生、生きていれば、
わけあって元気がない心の時も、日々は流れる。
自分が自分ではなくなってしまいそうな時も多々、
人生の苦みは時を経て、甘みや深みになる。
人にやさしくありたいと望む時点で、
ある程度の痛みや悲しみをも体験しなくてはならなくなる。
その体験から深く広く何を感じ、生きる教訓にできるか。
そんな日々の中で、、
子どもたちとかかわることで、やはり思うこと。
やはり子どもたちにもらえるものすべてが宝物だと、
時を経た人間として感じる。
日々のあたりまえに感動する姿に、
勇気をもらうのは、いつも僕たち、年を重ねた生物の方だ。
そして、僕らに生きる勇気を与えるのは、
日々のあたりまえの中にある、風景や匂い。
だからこそ、
「つかいみちのない風景」を子どもたちにもたくさんプレゼントしたい。
今日も、
神社に向かう細い路地、
軽トラを後ろから走って追い、タッチしては、はしゃぐ姿たち。
とてもいい光景だ。
こういった日々常にある、あたりまえのありがたさに感動できる心を育てたい。
育てたい、と未来に思いをはせるたびに、ふと思うことがある。
恩返しだ。
僕が少し心痛み、
重たい足を運ぼうと勇気を振り絞る横で、
子どもたちには、いつももらってばかりだ。
だからこそ、この痛みをかみくだき、その苦みを笑うのだ。と。
これは何のためかといったら、未来の子どもたちのためだ。
つまり、僕を通り、巡り巡って、子どもたちに循環してほしい。
「恩返しの連鎖」が続けばいいなと。
どんなことを子どもとしているかもとても大事だけど、
どんな思いで子どもたちと向き合っているか、
の姿勢を常に問いただしていたいです。
大切な時の、大切な交わりは、常にある。
みんなと共有できる時間を、なるべく未来に、なるべく意義深く。