卒業、おめでとうございます。
4月にはじまり1年間、
うまと共に関係し、過ごしてきた子どもたちは、
僕たちの目から見てもたくましく大きくなりました。
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3月18日、今日は一年間の総集編。
おとうさんおかあさんに、一年間で育んだ馬との関係を観てもらう日。
そして、おとうさんおかあさんに、学んできた馬と関係することを教える日。
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この日は、お母さんたちが「子どもを信じる」大切な体験をしてくれる日なので、僕たちにとってもとっておきの日。
親の眼を気にし、いつもとちょっと違うテンションの子どもたちがとても愛おしい日。
一年間の総まとめであり、貴重な体験を僕たちもさせてもらえる、とても大切な一日です。
いつもどおり、馬たちとのハグのあいさつからはじまり、馬房掃除へ。
うんこを投げ合う子どもたちの姿に、
お母さんたちは感動したり、ビックリしたり。
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家で観られない子どもの顔というものを大切にしています。
それは、大きな勇気になります。
僕たちが気のいい兄ちゃんとして、この先も安全基地みたいに存在していられれば、というのもこの季節によく思うことです。
なんて想いもふまえつつ、プログラムは進みます。
馬場に移動し、ひき馬を親御さんたちに先にしてもらいます。
ドキドキしますよね。
「おとうさん、やさしくつよくだよー」と子どもたちの声が響きわたります。
素敵な画です。
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順番を入れ替えて子どもたちがひき馬をします。
お互いの気持ちの良い関係を確かめ合う。
友達になったなぁ、いいなぁ、と素直に思います。
そして、乗馬をします。
我が子の馬に乗る姿を見て、感じる感情は様々だと思います。
どうか、その感情を大切にしてください。
終わりの振り返りの時間、
お母さんの感想にもありました。
「子どもが馬に乗っている時、こわい、、って声をかけそうになったけど、、あ、今、自分で向かっている、、、と。」
「普段みることの無い我が子の顔がそこにはあって、、」
いのちを信じることの本質がそこにあると思います。
「観る」ということ
自分の目で観て、自分の耳で聴き、自分の感情をそのまま観る。
情報や人の意見、それらから至る自分の思いこみに捉われず、ありのままそのものを観る。
何かを前向きに動かそうとする時の、
人と関係をしようとする時の、
恐れをそのまま観て感じて、そのまま受け入れて、まっすぐな勇気をもって生きていく。
人間だから、言葉があるから、
◯◯すべきだ、◯◯しなければ、となりそうな、
そういった情報や思考を抜け去ったトンネルの先に、
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同じいのちとして、
ただその存在を讃えたい。
といった心地がある。
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その心地を子どもは感じとり、
きっと馬も感じとり、
殺気や気配を感じる中で、
なんかヤバい、なんかつながってる!という、
わからないけどなんか気持ちいいその関係は
いのちを信頼するいのちを愛おしむための「敬意」に近いものがある。
その感じとった敬意を、周りの人に対して、
自然に対して、社会に対して、
そして、おとうさんおかあさんにもって生きていけたらいいな。
そんな敬意のかけあいが、いのちの「自立」を生むと思います。
親子も年代も関係無く、
依存が無く、お互いいのちとしての敬意がある。
すべてとつながっているという感覚がある。
そのベースの揺るぎなさが、自分の人生を生きる勇気になる。
自己肯定感というものは、
どこまで根源的ないのちを感じ、愛おしむとこにいけるかどうかだ。
潜れば潜るほどつながり、
つながれば、このいのちの使い道を知る。
あるとき、子どもが生まれ、ひとりの親が思いました。
きみが産まれた時
本当に奇跡という言葉を感じた
あんな感動はなかった
その時目そのいのちの可能性にワクワクした
時が経ち
愛がゆえに
心配がゆえに
「危ない!やめて。そんなことしたら、、」
と声をかけていた。
あれだけ信じたいのちに対して。
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成長と力を手に入れる姿に、日々感動をしながら、
声をかけること、手を出すことが、そこにあるいのちを信じてないことになってしまう?
信じるとは?
待つとは?
信じて待つことは、そこにあるいのちを信じ、花咲く姿を、ともにみること。
そんな心の姿勢でいられたら、とお母さんお父さんの話を聴きながら思いました。
いのちを信じる大切さを教えてくれる子どもたちに、いつも、感謝。
そして、そのいのちを花咲かせているお母さん、お父さんに、最大限のリスペクトをもって。
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一年間、お世話になりました。
おかげさまで、子どもたちには、本当にとても大切なものをたくさんもらいました。
ありがとうございました。
佐藤由明