照れながら楽器を交換し合う姿が、桜の花びらのようだった。
目は鉄棒を見ながら、「一緒に遊ぼうよ」と誘う勇気に心があったまった。
見事にこちらの意図することなく、子どもたちの間で花は咲く。
さくらの花をあと何回見れるだろうか?
ましてやみんなとこうしてお茶して、楽器で好きに音を鳴らして、
そして何より、
自分たちで遊びを決めて、広い運動場で、腹時計にしたがって遊んで帰る。
こんな桜の見方があと何回できるだろうか?
この季節にはいつも想う。
出逢いと別れはある。
よいわるいではなく、流れるものであり、
前に歩けば、大人子ども関係なく、それは確実にある。
どんな場でも、制限なく己を解放してほしい。
己を解放するうえで、
はじまりの季節には、礼節や風をフレッシュに感じてほしい。
わがままに自分を無暗に解放するのではなく、
礼節をもって、自分を肯定しながら、解放していくこと。
ただ存在を受け入れることの大切さを、
この季節の花や風は、痛切に感じさせてくれる。
この季節のあいさつひとつひとつは、少しの勇気だったりもするけど、
その勇気が花開くと、世界はぐんぐんひろがっていく。
無条件に自分と相手の存在を受け入れることからはじめよう。
年度末的には、終わりの終わりだけど、
はじまりの予感がたくさんする素敵な時間でした。
みんな、桜を見るその姿のように、上を向いて生きていこうな。