あたりまえの光景になりつつある。
海に馬と子どもたちがいる光景が。
町の中をひき馬しながら、
町の人たちにあいさつをして、
馬と車と人がゆずりあって、
わらいあって、
角を抜けると、ドーンと海へでる。
波打ち際で、
それぞれがそれぞれの時間を過ごす。
なぎさ(2歳)の今だけふわふわの毛をまるめて毛玉にして、
びんにつめるんだって楽しそうな子。
うんこをとって、
うんこリュックに入れて、よしって顔をする子。
背景は夕凪。
なんてすばらしいことだろう。
そして、なにがすばらしいのだろう?
と子どもたちの背中越しに考えていた。
「いのちのロマン」を感じるなぁ。
46億年目のこのいのちとか、
身体一つが60兆個の細胞でできていて、
とかおおげさではなくとも、
たくさんのいのちがつらなって、
おおきな流れを、うねりを感じる。
うみ、そら、やま、すな、うま、ひと、かぜ。
いのちのロマン
子どもたちがいのちとして、やわらかく調和している感じがある。
この、
いのちの流れとつながっている。
という「安心感」があればいい。
安心とは、人がその人のままになる近道。
あたりまえの光景が、これだけ安心感があると素敵です。
あいさつのハグも、
馬房掃除も、
えさやり水やりも、
道具の使い方しまい方も、とっても大切。
そしてなにより、
馬との距離感、
馬といういのちを介しての友達との距離感、
そのひとつひとつがみんなにとってのほんとうの体験になる。
そのほんとうの体験をつうじて、
あたりまえがあたりまえである貴重さを知りながら、
それがなによりの奇跡だってことを知る。
だんだんあたりまえの光景が増えていく中、奇跡だとも感じるようになっています。
フレッシュな驚きや、すごいすごい!だけでなく、
こうやってあたりまえの光景が増えていくことこそ生活になじむこと。
生活になじむことは、心になじむこと。
じっくりじっくり、あたりまえにしていこう。
佐藤由明