勇気というものは、ある程度のことを超越、
あるいは、気にしない、という先にあると思う。
人に関係することの恐れは、
相手のことを想いすぎて、うまく愛を伝えられなかったら、や、
わたしのこと、どう受け止められるかな?
もし、熱くぶつかりすぎたら、等の思考の賜物だ。
気にしてもわからないこと、相手の心の中や、
なにが起きるか分からない先のこと、とか、
余計なことは余計なこととしてぶっ飛ばす!
そして、今ここの自分に集中して、自分をしっかり愛する。
今ある感性で感じていることをしっかりと感じ、
自分の内側に耳を、目を、意識を、傾ける。
本当の自分の本当に気持ちいいことに向かう。
自分に嘘をつかない。
それが、勇気だと思う。
その上で、今日一番心に残ったことは、
馬小屋の掃除をする中で、
みんなが手で、うんこを集めだし、
みんなで一輪車で運んだうんこだめに、手でうんこを投げ始めて、
とっても楽しそうな笑顔をしていたこと。
とにかく誰一人残らず、みんなが開放されていて、最高の空気だった。
うんこ合戦ってしたことありますか?笑
ぶつけあってはいないから、うんこ射的かな?
どちらにせよ、
僕らよりも動物的な感性を持ち、
楽しいことをまっすぐ知っている彼らが、
ああやって遊ぶんだから、大正解だよなぁ。
やっててよかった、本当に。
馬と子どもの一緒にいることの楽しみや意義を、
崇高に言おうとすればいくらでも言える。
馬とあいさつをし、
抱き合って、
住んでる家を掃除して、
散歩して野に生える草を食べて寄り添う。
そりゃあとってもすてきなこと。
そこに良し悪しをどうこう述べることで、
なんか僕らはつまらん世界をつくりたがる。
つまらんなぁ
うんこ投げるとか最高じゃんね。
自己肯定感を高めるにはどうしたらいいですか?
という問いに、いつもこう答えてます。
いい感情もわるい感情も全部自分のものだと透明に受けとめる。
好きな自分も嫌いな自分も全部自分だと、言い訳なしで、本気で抱きしめる。
そして、いいわるい、とか、善悪だとか、
好き嫌いだとか、そんなものは無いところまでいき、
あたりまえの自分をあたりまえに受け入れる。
陰陽、半分ずつで一人。
ただそこにいろんな色の自分がおることを知る。感じる。
んです。
うんこ投げるとかすごいよね。
一方では、肥やしになり、生活に欠かせないうんこ。
一方では、臭いとか、汚いの代名詞なうんこ。
そういう陰陽を関係無く、包み込む子どもたちの姿に、
感動もそうだけど、羨ましくなった。
つまらん大人になったもんだわ、と。
一瞬一瞬がワクワクドキドキの輝きに満ち溢れ、
命の一滴がぞんぶんに振りまかれ、
なんてすてきなことなんだろう、と見守る自分を愛しく感じていました。
関係する、その上で、みんなの愛が、自分への愛に巡ってくる。
ありがとう。有り難い。
「不安をたくさん感じたよ、
そのぶん、自分をたくさん信じたよ。
そして、おうまさんとたくさん会話できたよ。
おうまさんに止まってる虫ともね。
とってもとってもたのしかったぁ!」
命に触れるその喜びは、
君の世界をどんどん広げて、宇宙へと飛ばしてくれる。
果てしなく深い命に触れることが、果てしなく広い世界をノックする音に聴こえるよ。
君たちは、ひかりで、みらいだ。
佐藤由明