TIDE POOL 葉山の公式ブログ

2016.06.22 UP
子ども同士は自然とお互いの生きる力を高めあう。 余計な想念を払い落とし、自由であれば。
※写真は最下段にあります。佐藤先生の気持ちをそのまま出すためです。※

1人の男の子がいた。
「嫌だくさいやりたくない」
いいねぇ、
めっちゃいいよ!
みんな馬大好き!よりよっぽどいいよ。
ドラマティックにしてくれよ。
感情押し殺して与えられたことをぐちぐちやるよりよっぽどいいよね!
素直に思うがままにしたらいい。
そんで自分と関係してみりん。
自分の内側に話しかけて、
世界に繋がるために、馬と人と関係したくなったらしてみりん。
嫌がる子に手は出さない。
甘い言葉でその場しのぎな大人の都合を押し付けない。
みんなの生きる力を信じて見守り、じっと待つ。
男の子がみんなに言った
「馬の後ろに立つと危ないよ!」
みんながきょとんとした。
え?何言ってんだ?
大人が与える余計な知識が崩れ落ちる瞬間だった。
そう!
その心の周りについた余計な想念を払い落とし自由になるんだ。
そのための勇気だよ。
それが生きる力の強さだ。
なんでもありで、大丈夫だ。
動きが変われば自由になれば、馬も自由に関係してくる。
ふと見れば、男の子は1人で綱を持って馬を引っ張り散歩をしとった。
周りの子たちも彼の生きる力を信じ、馬と2人にさせてあげた。
初めてだから、とか危ないとか関係ない。
子ども同士は自然とお互いの生きる力を高めあう。
自由であれば。
目指す一つの光景が目の前に現れて嬉しかった。
僕らが子どもたちの心と向き合うことで意識すること。
勝負していることは一つ。
新しい命の中に内在する生きる力を、ただ強く信じてコントロールしない、ということ。
大人が自分でやった方が早いに決まっとる。
こうするんだ、これだ、と正解みたいな何か、
もっともらしい何かを与えることは簡単。
こちらも楽だ。
ただその正解のような何か、もっともらしい何かは、僕らの中の話で、彼らの正解ではない。
自分の中で湧き上がる感情をいかに自由に引き出し、自分の決断で納得してもらうか。
コントロールしないということは、
全く手を出さないのとは、ちと違う。
そのために自分がどのように場に存在し、
どの角度の視線で、姿勢で、うなづきで信じていることを伝えられるかどうか。
圧倒的にこちらより敏感な彼らと交わす精神戦。
交わす言葉の数なんか興味が無い。
交わす魂のやり取りが本質。
学校や家であっちゃこっちゃ手を出され大変だよな。
その紙に何を書いているか隠さんくていいよ、
自分を信じて自分の感情を爆発させな。
いいこと言わんでもいいよ、好きにしゃべりな。
ここは自由だ。
鎧を脱ぎ、精神的に自由になる時空間だ。
自分に帰りな。
生きる力を強くするために、
自分で決めて、自分で責任をとってもらう。
そのためにこちらは、どんな心の姿勢で存在すればいいのか。
いつも、勉強させてもらい、感動させてもらっとるよ。
ありがとう。
もっと嫌いとか不安とかたくさんの感情の違いを楽しもう。
うわべの好きだけでは、本当の好きは成り立たんからね。
きみの心の奥にあるその陰と陽を愛そう。
その陰と陽を愛する勇気を、みんなと関係しながら手に入れよう。
そのための友だちだよ。
友だちと、馬と、あの空気の中、
混沌を混沌として受け入れ、ただじっと座ろう。


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